入試の国語で問われる必須のテーマとは
「自我」です。自我とは「自分という意識」です。
今ではそれを持っていて当たり前と思いますが、
これを気にし始めたのはつい最近、明治時代の半ばです。
江戸時代なら、人は「家」のために、「主君」のために、「藩」のために生きていました。
つまり、集団の中に自分という意識が入り込んで、
個人と集団との区別ができなかったのが封建時代です。
結婚も職業も家が決めるものでした。
ところが、明治になって西洋ではそうではないことがわかってきて、
集団から個人を切り離そうと考えたのが、「自我」です。
こういう動きが起こってきたのが近代の初めなので、
歴史的には「近代的自我」という言い方をします。
昨年、日本大学の元理事長が脱税の容疑で逮捕されました。
現在の日本を象徴する出来事だと思いました。
日本はまだまだ「自我」の意識が弱く、寄らば大樹、
長いものに巻かれろ的な古い体質が残っていて、
その部分で問題が発生したのではないか、
本当は大学職員や理事一人ひとりがしっかりとした「自我」をもっていれば…。
自我を持つ自分がいるのと同じように、他の人も自我をもって存在しています。
そういう他の人とみんなで議論してルールを決めて、
生きやすい社会にしていくために、自我は必要不可欠であり、
前提条件です。
現代人として、高等教育を受ける人間として「自我」を意識してほしい
という高校や大学側のメッセージがよみとれます。
しかし、しっかりとした自我を確立するには、
自分の欲望や社会との摩擦や衝突というある意味
厳しくつらい側面もあります。それついては、また次回。
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