心頭を滅得すれば火もおのずから涼し?
今日は秋晴れで、暑いですね。
凡人には、心頭滅却しても暑いものは暑いですね。
そもそも、この言葉の出典は、
晩唐の詩人、杜荀鶴(とじゅんかく)の「夏日題悟空上人院」にある詩句です。
三伏閉門披一衲
(三伏(さんぷく)門を閉ざして一衲(いちのう)を披(き)る)
兼無松竹蔭房廊
(兼ねて松竹の房廊(ぼうろう)を蔭(かげ)にする無し)
安禅不必須山水
(安禅(あんぜん)必ずしも山水を須(もち)いず)
滅得心頭火自涼
(心頭を滅得すれば火も自(おのずか)ら涼し)
訳
三伏の炎暑の時には寺の門を閉ざして、きちんと僧衣を着て座禅する
寺には部屋や廊下に影を作る松も竹もない
安らかに座禅を組むのに、必ずしも山水の地に赴く必要はない
心の中の雑念を払い去るならば火でさえも自然と涼しく感じられる
現在では最後の句だけ引用して根性論として使われることが多いですが、
前文も含めると深い話ですね。
親がうるさいから勉強できないとか、
勉強部屋がないから勉強ができないとか、
道具がいいものが無いから上手くならないとか…
人間はとかくわがままになりがちです。
整った環境があってもなくても、
「すべては自分の心が決めるのだ」という意味で私は解釈しました。
とかく人間の心は不安定になりがちです。
青陽はみなさんの学習のパートナーとして、
心の支えの一助になりたいと思います。
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